このページは、本の小部屋
SASセキュリティハンドブック」、「SAS戦闘マニュアル」、「特殊部隊」を
参考にさせていただいています。

S.A.S

Special Air Service 
英国陸軍特殊空挺部隊

Special Air Service

直訳すると英国特別航空任務部隊と言うことになるこの名称は、第2次世界大戦当時の1941年、ドイツ諜報部を欺く為わざとつけられたものである。北アフリカでのロンメル率いるドイツ軍をゲリラ戦法などで撹乱させる為志願兵が募られたのが最初の部隊。
その後、1942年には、隊員が309名に増え、正式にSAS連隊となる。
大戦終了時に一旦解散されたが、その後の英国植民地での解放戦線を展開したゲリラに対抗する部隊としてS.A.S.は再び戦地に投入された。
ファイナル・オプション」の原題にもなった、「Who Dares Wins」=「危険を冒すものが勝利する」をモットーとするSASの最大の任務は、敵後方における特殊作戦行動(サボタージュ、奇襲、情報収集など)である。

他にも、占拠された施設に対する奇襲、救助作戦、IRAに対する隠密作戦もSASの任務のひとつである。
さらに、SASの第二の任務は、友好的なレジスタンス戦力を組織、訓練する事、及び友好国の特殊防衛戦力に訓練の便宜を図る事である。

       

以下は、創始以来堅持され続けているSASの教義である。

1.飽くことなき卓越性の追及
2.SAS兵士は日常生活のあらゆる面における、最高水準の訓練水準の維持。ここの兵士における自己練成の高い水準こそは部隊訓練の唯一効果的な基礎である。
3.SAS部隊は社会的な階級の違いが無意味な部隊である。
4.謙遜とユーモア。この二つの美徳は、営内生活を営む将校、兵士には不可欠なものだが、SASではとりわけ重要なものである。

       

正規軍SASである第22SAS連隊は4個戦闘中隊編成。各中隊は、それぞれ16名編成の特技小隊4個で構成され、各小隊は、4人さらに4名から成るパトロール隊4個に分割される。
4つの小隊には、水陸両用戦を受けもつ舟艇小隊、地上車両運用が専門の機動小隊、軍用、フリーフォール・パラシュート降下担当の航空小隊、山岳、冬季戦のスペシャリストの集まりである山岳小隊という専門分野が与えられている。さらに、4名のパトロール隊は、医療、爆発物取扱い、通信術、語学のスペシャリストで構成されている。
指揮官の階級は、連隊指揮官が中佐、中隊長は少佐、小隊長は大尉、パトロール隊長は伍長である。

       

                            
SASは第22連隊だけでなく、第21SAS連隊、第23SAS連隊の3個の連隊で構成されている。
第22連隊は正規兵だけの連隊であるが、残りの第21、第23連隊は、準連隊である。
準連隊は、正規連隊と違い、臨時の隊員で構成され、隊員は民間業務と軍役を掛け持ちする。(現在では迅速に動く為、別に準連隊予備軍が創設され、時折正規軍の支援に回る事もある)
すなわち、第22連隊が3年間の軍籍を持つものでなければ志願できないのに対し、第21、第23連隊は、軍人でなくとも志願できる…。ただし、その選抜過程は、正規連隊も準連隊同じである…。
正規連隊受験者が直線で平均時速4Kmで走るのに対し、準連隊受験者は平均時速3Kmというレベルでの基準の低さはあるが…。準連隊受験者で正規連隊受験者のスピードについていけた者はSAS準連隊予備軍の入隊資格を得る。
準連隊の第一の役割は偵察であり、破壊活動などは副次的な役割となる。
   
この項の参考にさせていただいた本は、本の小部屋にも紹介した「戦場を駆ける医師、〜愛、勇気、憐憫」ですが、このあたりの準連隊の話は、この本を読んでいただくととてもよくわかります。
                            



入隊
選抜訓練過程

SASは英国軍隊に3年以上在籍した者なら、志願出来る。SASは常に志願兵から選抜されている。
ただし、その選抜過程は過酷を極める。
まず、4週間の選抜訓練。これは、ヘリフォードのスターリング・ラインズ基地にある連隊本部とウェールズ南部の山地で1年に2度行われる。
最初の3週間は、段階的に体力を消耗させる体力・耐久力試験を受ける。日々の試験は一切やり直しはきかず、合否がわかるのは次の試験の始る朝。その発表に自分の名前がなければ、原隊へ帰る事になる。
最初は100名以上いる志願者が日を追うごとに減っていく。
選抜過程最後の週では、最終的な選抜が行われる。ここでは、25キロの重さのリュックと、4.5キロの小銃という重装備での行軍が日夜実施される。毎日重装備での長い行軍を繰り返し、消耗が激しくなった時に行われるのが、最終日のペン・イ・ファンへの登山を含む距離80キロにも及ぶビーコン山地越えの強行軍である。これを踏破して初めて次の過程へと進めるのである。


       

                           
このペン・イ・ファンの最終行軍では、死亡事故も起きている。
冬の荒れ狂う吹雪や夏の嵐は、志願兵だけでなく、ベテラン将校の命をもうばう事がある。
SASの第一の任務は、世界のいかなる場所、気候、その厳しさにかかわらずいかなる作戦にも即応できる状態を平時から維持する事であるが、それはすなわち自然界の厳しさや危険と隣り合わせだという事を認識しなければならない。
犠牲者を出すという事は、志願者全員の気持ちを沈滞させるものではあるが、それを打ち払うブラックユーモアも連隊には伝わっている。
曰く、「死は、選抜過程での落第を通告する自然界特有の方法なのだ」。

                           


継続訓練過程

選抜訓練に合格した志願者は1週間の休暇をもらった後、継続訓練に入る。ここでは半年かけて、SASで必要な、武器の取り扱い、戦闘術、サバイバル術、偵察学、医学、爆発物の取扱い、カモフラージュ術、尋問への対処法などが入念に教え込まれる。もちろん、この過程でも、不適格と判断された志願者はただちに原隊へ返される事になる。
継続訓練の締めくくりは、戦場サバイバル訓練である。「ハンター」部隊に追われながら、あらゆる知恵と手段を駆使して逃げ延びなければならない。
さらにそれにパスした者は、36時間に及ぶ尋問が待っている。捕虜の取扱いを決めたジュネーブ条約ぎりぎりの範囲内で、肉体・精神の両方にかなり手荒な尋問手段が行使される。これに耐え抜いた者だけがSAS隊員としての資格を与えられるのだ。


        

最初は100名以上居た志願兵がこの時点では数名程度に減っている事も珍しくはない。
晴れてSASの帽章を与えられた新人隊員は、各特技小隊に配属されて、専門技術を学ぶ事になる。さらに、自分の小隊の特殊技能に加えて、新人隊員はパトロール隊に必須の個人技能のうちひとつを自分の物にしなければならない。4名編成のパトロール隊では、この4つの技能のそれぞれを、最低でも一人が身につけていなければならないからだ。
しかしながら、SAS勤務が長くなるにつれ、各人が習得する技能の数は2つ、3つと増えていく。こうして一人がいくもの方面のスペシャリストである事がSASの強みのひとつである。


CRW(対革命戦)ウイング
現在、S.A.S.というと対テロ特殊部隊というイメージが強いが、それは第22SAS連隊の中のCRW(対革命戦)ウイングの事を指す。
CRWウイングは1973年、SASが対テロ任務を公式に与えられた際に創設され、1970年代のテロリストの脅威が増大するにつれCRWウイングも拡大された。全戦闘中隊が外地任務から戻るつど対テロ訓練を受け、現在では常に1個中隊が対テロ作戦のため、24時間の待機態勢をとっている。