CI☆5裏話

出展:「THE COMPLETE PROFESSIONALS

設定&裏話へ戻る
   

このページの写真を提供してくださったのは、雑文堂さまです。ありがとうございます。
写真は、禁・無断転載でお願いします。


まずCI☆5製作裏話です。
  
『おしゃれ探偵』『ニューアベンジャーズ』で成功を収めていた、ブライアン・クレメンスが、ロンドンウィークエンドテレビジョン(以下、LWT)の代表、ブライアン・テスラーに、「70年代に則したもので、ある程度の友情も描いた、スピード感のある、リアルな番組のアイデアを出して欲しい」、と言われ、持っていったテーマは二つありました。
“二人の覆面刑事の話”と”The A Squad”の話でした。 
この後者の方をテスラーが気に入って、脚本を見ただけで「よし、やろう!」と即断即決。それがCI☆5のはじまりです。
ただ、この時点ではテスラーは、”The A Squad”がまんまタイトルだとは思ってなかったと言う話ですが。
ちなみに、この時の最初の脚本は『騙すのはキツネとタヌキとどっちが上だ』です。

クレメンツ曰く、「番組中に大西洋を横断しなくても、国際的に通用するような作品にしたかった。だからありとあらゆる部門の精鋭を引き抜いて編成された、この精鋭部隊を考え出した。
『お偉方』とかそういった連中から部員を頂戴した部隊をね」

CI☆5の原案については、CI☆5のページにアップしてあります。


脚本要領

政治的要素より、人間的要素を優先させる事。

物語性を持たせること、CI☆5が扱わなくてはならないような事件を創る事。
その上で、一見不可解な事件をCI☆5に解決させる事。

ドイルとボーディ、そしてコーレイの関係を常に前面に置く事。

新聞の見出しから材料を盗め。いかなる場面も疑わしいものであってはならない。

場を止めない事。展開を早く。


さて、次はキャスティングです。
この原案の時点では、誰が演るか、まったく見当もついてなかったようです。
なんせ、ドイルの初期設定は“金髪、碧眼”ですから。(爆)

まず、コーレイ部長。
最初に候補に上がったのは、当時、『おしゃれ関係』に出演したばかりの、クライブ・レビルという俳優でした。
彼は興味を示したんですが、アメリカで作ったパイロットがシリーズ化されるかどうか連絡待ち状態だったので、参加は出来ませんでした。

ゴードン・ジャクソンを推したのは、クレメンスの相棒、アルバート・フェネルでした。以前一緒に仕事をした事があったのです。ゴードンは即座に引き受けたものの、ちょうど映画の仕事をしていたので、それが終わるまで撮影を延期したそうです。

続いて、ドイルです。
最初の候補はジョン・フィンチ。しかし、元警官役に難色を示した為( 「いいね、やるよ」って言った後で、「もちろん、元警官役は出来ないけど」はないだろう…。)、マーティン・ショーに決まりました。

最後はボーディ。
ボーディ役は、先に決まったドイルが一緒にテストをやって自らの相棒を探したとか。
結果、アンソニー・アンドリュースが選ばれ、マーティンとスクリーン・テストをやったんですが、ラッシュを見て没になっりました。なぜなら、二人があまりにも似すぎていたためです。
ボーディとドイルは、「ニトロ&グリセリン」なわけです。対照的な二人でなければならない。
そこで、クレメンスが思い出したのが、『アベンジャーズ』で、マーティンと共演した事のあるルイス・コリンズだったわけです。

なんか、最初はマーティンがルイスとの共演を嫌がったって話もありますが、すぐにそれはなくなったようです。だって、海外のサイトに載ってるあのプライベート写真の数々、嬉しそうにじゃれてるじゃありませんか(号泣)。


そして、1977年6月から第1シリーズの製作が始まりました。1Epにつき、予算は、約11万5千ポンド。
第1シリーズのプロデューサー、シドニー・ヘイヤーズはすぐにシリーズの体系を打ち立ててしまいました。

曰く、
「ごく簡単に言えば、CI☆5の功績と、国内、国外の諜報活動やテロ、暴力行為、組織化された犯罪に対する、CI☆5の終わりなき聖戦を描いたのである。
こういう事件は往来の激しいロンドンの通りや波止場地域、空港、各省の建物などを背景として起こる。実のところ、背信行為、汚職、ハイジャック、人質をとるための誘拐、爆弾を利用した脅迫や暴力犯罪によりCI☆5の専門的な捜査能力が必要となる所だったらどこでもいいのだが。
ジョージ・コーレイに率いられ、ボーディとドイルは復讐の天使となり、大都市を駆け巡り、自らの正義の剣でテロリストや悪党どもと戦うのである。必要が生じた時には、敵と同じように、手榴弾を相手の陣中にお見舞いするのだ」

…。復讐の天使とか、自らの正義の剣とか、なんかあの二人のイメージに合わない〜〜〜〜(号泣)


この第1シリーズには、問題の「Klansmen」(邦題『黒人差別の張本人は誰なんだ』がありました。これはCI☆5が輸出(爆)された諸外国での放送はありましたが、本国では完全にお蔵入りになってしまったものです。
クレメンスは、お蔵入りにしてしまったLWTの対応に、「問題点を話してくれたら、いくつかのシーンを撮り直して、許容し得る程度のものに出来たのに」という、個人的見解を後に語ったそうですが、LWTの意見は別のものでした。
「あの脚本は実に迫力のある、取り組み甲斐のあるものだった。それにとてもよく出来ていた。でも、シリーズの他のエピソードと型が違っていた。『プロフェッショナルズ』はアクション・アドベンチャー・シリーズなんだ。だから、こういう特殊な筋は合わないと思ったんだ。脚本自体は実によく出来ていた。しかし、我々の見解では、このシリーズにはむいてない話だった」

実際、民族間、人種間の問題はとてもデリケートです。あのEpは最後に一番の黒幕は黒人だったという落ちがついてましたが、あまり見ていて気分のいいものじゃなかったかも。
だいたい、あのEpってボーディは瀕死だわ、ドイルはズタボロだわでボーディファンにもドイルファンにも辛い1本ですし〜。ま、個人的には、「恋に落ちた女優のもう一つの顔」よりはましですが…。


では、第1シリーズのしめくくりです。

当時、CI☆5に充満してた「暴力」のシーンにマスコミ批評家はあまり当惑を見せなかったそうです。もちろん、「目新しいものはなにもない」とか「粗野で乱暴なおまわり」とかいう批判もあったそうですが。
さらに、CI☆5は出だしはあまり振るいませんでした。なぜなら、放送開始日が大晦日の前日だったからです。日本じゃ、考えられない日取りですね(爆)。
「しかし、その後、急速にスピードを増し、たった6週間のうちに、CI☆5は、興奮とアクションに飢えた何百万もの視聴者にとって、なくてはならない番組になったのである」



続いて第2シリーズです。

第1シリーズで成功を収めたCI☆5。それに気を良くしたLWTは13話の製作を依頼しました。そして、1978年から撮影準備に入ったのです。

シドニー・ヘイヤーズに変わってプロデューサーの椅子に座ったレイモンド・メンミューアと、副プロデューサーのクリス・バート。彼らは、前シーズンの暴力シーンに対する批判を意識し、暴力を抑え、代わりにもっと大胆なリアリズムを描くようにしました。(あの『白い粉をまき散らすボクシングの英雄』は、原題では最初は、『暴力の調査』というタイトルだったそうです。しかし、押さえ気味の『苦悶』というものに変えられたと言う事です)

さらに、キャラクターにも変化がありました。ボーディとドイルの性格が更に掘り下げられたのです。『白い粉…』で明らかになったボーディの経歴、ドイルの趣味は、すごかったです(爆)。ボーディの派手な経歴にSAS所属などと言うさらに派手なものが加えられ、結果、最初は17歳で家出した事になっていたボーディは13歳で家を飛び出した事にされてしまいました…。
そして、部長ももっとアクションに参加できるよう、足の古傷の設定は、忘れ去られていったそうです。


   メンミューアが出した、脚本家への新たな指示です。

「小気味よく話を展開させていく事。ただし、会話やアクションを犠牲にしないように!」


そして、作品が成功し、製作プロダクションの価値が増し、その結果、ロケが増える事となりました。

   
もちろん、第1シリーズもロケが大部分を占めてはいましたが、屋内のシーンはすべてスタジオセットでの撮影でした。その為、CI☆5本部内の風景は、コーレイのオフィス、廊下、取調室以外ほとんど見られなかったのです。

ロンドンには言うまでもなく、ロケ地はたくさんあります。
普通の通りから個人の家、オフィス街や刑務所。さらにはロンドン市内、周辺双方の様々な名所、クライブ・マンション、デンヘッドの街、サザール・ガス工場、ハマースミスのカドビー・ホール、ロンドン波止場地域のチェインバーズ埠頭、スイス・コテージにある有名なホリディ・インなど、ロケマネージャー達は面白くて珍しい場所を探し回り、番組で同じロケ地を繰り返し使う事は滅多になかったと言う事です。


このCI☆5の撮影方法は、99%がロケだったと言う以外に、もうひとつ異例だったことがあります。

当時(今でもそうなのかは不勉強でわからないのですが)、ほとんどのTV作品や映画は35mmカメラで撮影されてました。しかし、CI☆5は16mmカメラで撮られたのです。
なぜかと言うと、16mmの方が35mmよりずっと小型で軽く、1日で数箇所ロケをしなければならないCI☆5の撮影には都合がいいからでした。

さらに、ロケにおいて問題になるのが、音声の録音でした。
普通、ロケでは、音響は、後日特別な吹き込み用のスタジオで加えられるものですが、CI☆5ではその方法を取りませんでした。臨場感を大事にするため、すべての音声は生で録音されました。
もちろん、これは多くの問題を引き起こします。高感度マイクは俳優の声以外に、あらゆる音を拾うからです。
街の雑音に始終邪魔されながら、俳優たちの会話を追うスタッフの姿を考えれば、その大変さはわかっていただけると思います。
その為、音響技師のデイブ・クロウザーは部下と相談して、音響装置を移動に便利なよう、小型の携帯用に改造したそうです。



ひとつのEpを撮るのにかかった日数はだいたい10日。その為、撮影スケジュールにほとんど余裕がなく、俳優が1日16時間働く事もあったと言います。
しかし、スタッフが格闘やアクション・シーンを出来るだけリアルに作りたがっている事を、コリンズとショウは知っていたので、二人は90%近く、自分でスタントをこなしていました。

とは言っても、彼らにやらせるには危険が大きすぎるとプロデューサー達が感じたものは、当然プロのスタントマンが使われました。
第1シリーズで決められた方向に従って、新シリーズでは、アクションを更に強調し、どのEpにも最低一度は連続アクション・シーンがありました。猛スピードのカー・チェイス、屋上での戦いや派手な爆破シーンなどです。

その為、撮影に先駆け、コリンズとショウはSASの現役少佐に護身術の訓練を受ける事になりました。
少佐は二人を田舎にある、「秘密の」SASの訓練所に連れて行き(まさかキリングハウスじゃないでしょうね)、二人の技量を試し、銃や爆発物の扱い方、素手で戦う方法を教えました。
また、二人は安全に車を「横滑りさせる」訓練も受け、ロンドンの警察の教習所で5日間、水浸しになった道路や、油の飛び散った道路を疾走しました。

激しい殴り合いのシーンや、スタント・シーンの陰には、スタントのアレンジ担当、ピーター・ブレイハムが居ました。彼の仕事は、不可能な事をもっともらしく見せる事と、あらゆるスタントが細かいところまで準備されているか、安全であるか確認する事でした。彼はまさにこの仕事に適した人物でした。
彼は、撮影で車を横転させる事にかけては世界一のスタントマンで、最後まで番組から離れる事はありませんでした。

★ちなみに、ブレイハムは結構な力持ちだったようで、コリンズとショウの二人を一度に肩に乗せてる写真があったりします。…。そう言えば、二人の体重ってどこ見ても載ってなかったな(爆)★


もうひとつ、アクションシーンと並んで、重要なもの。ひとつのEpにつき平均2度はあったと言われる、CI☆5に付き物の爆発シーン。これは常に最高以上のものが要求されたそうです。
これには、LWTの特殊効果ディレクター、マイク・コリンズが、爆発シーンが安全で、きちんと指揮されていて、スクリーンでは迫力があって本物らしく見えるかどうかを常に確認していました。


しかし、ここまでしっかりと計画を立て、様々な準備をしていても、手違いと言うものは起こります。

1987年11月、番組は思いがけない災難に見舞われました。

俳優の契約書には、プロダクションの損害となり得るような、セット外での活動を制限する、もしくは制限すべきだという、特殊条項がありました。当然、出演俳優に怪我をされたり、番組にマイナスなイメージのスキャンダルネタを起こされては困るからです。

しかし、スキャンダルはともかく、怪我は思いもかけぬところで起こるものです。

コリンズが週末の休みに友人とパラシュート降下をやった際、足首を折ってしまいました。
13話中完成していたのは10話でしたが、撮影は続行不可能となり、メンミューアは製作を翌年まで延期する事にしました。

撮影は3ヶ月延期されました。「これには費用がたくさんかかるんだ」と、ブライアン・クレメンス。
実現はしませんでしたが、彼には撮影延期の代案があったそうです。
つまり、コリンズの怪我を脚本に取り入れてしまうことです。
「CI☆5はアクションものだったんだから、主役のひとりが脚にギプスをはめて2、3話出ていれば、面白くて真実味のある話になったろうね」


★…。脚にギプスをはめ、松葉杖をついてるボーディ…。個人的にはとても見たかった代物ではありますが、ボーディの腕の怪我でさえ、銃を握れん奴はCI☆5には必要ない!と強制休暇を取らされていたのです。まして、脚にギプスじゃ、どうしようもないんじゃないかと思ってしまうのですが…。銃は握れても、動けないでしょうに(爆)。それをどう料理するかが、脚本家の腕の見せ所だったのかもしれませんが…★


翌年1979年3月に撮影が再開されました。
しかし、撮影スケジュールは押していました。その為、第2シリーズの残り3話を取り終えるや否や、引き続き第3シリーズの全エピソードの製作に取りかかったのです。
全部で18本。32週ぶっ続けの撮影でした…。



その第3シリーズの裏話です。

『姿なき仕掛人 時限爆弾は白昼炸裂する』
このEpは、新しい脚本家が書いたものでした。ただし1回限りの。
というのも、実はこのEp、スティーブン・リスターという、18歳の少年が考えたものだったのです。
彼はCI☆5が大好きで、好きが嵩じて自分でも脚本を書いてみたのです。それをプロダクションに送ったところ、信じられない事にそれが採用されたと言う事らしいのです。

★おおらかっつーか、こだわりがないっつーか…。プロの手直しは入ったんでしょうが…。
でも、このEp、どこまでがその少年の脚本かはわかりませんが、ストーリーがどシリアスだったわりに、ボーディとドイルは相変わらずお茶目で、よく出来てたと思いません?路駐してあったドイルの車で爆弾を探していたくだりとか、ボーディの自宅の電話に仕掛けられた爆弾をドイルが外すあたりとか。さて、このあたり、素人かプロか、どっちの案でしょうか(爆)★



もう1本、心温まる裏話を。

ミシェル・ベックレイという11歳の少女が居ました。
彼女は、妹から骨髄移植を受けたあと、病院の無菌室に入っていました。
彼女もCI☆5が大好きで、BBCのとあるTV番組に手紙を書きました。
「自分のヒーローである、『プロフェッショナルズ』に会わせて欲しい」と。
その番組と、デイリー・ミラー紙の協力で、彼女は本当に俳優たちに会う事が出来ました。
そして、無菌室に戻った筈の彼女でしたが、それは見せかけのものでした。
CI☆5のプロデューサー達は、病院の数シーンに出られる女の子を捜していて、ミシェルにその役が与えられたのです。

★この裏話はどのシリーズか、どのEpかわかりません。でも、無菌室に入っていた女の子と言えば、『医者を殺したら病気は誰が治すんだ』に出てきましたね。
彼女がミシェルだったのでしょうか★



ここからは第4シリーズです。

CI☆5は勢いにのっていました。英国だけで600万人の人が見ていた、人気シリーズになっていました。
「タフ」な面を批判する声もまだ少しはあったものの、途方もない人気に支えられ、プロデューサー達は、そのままの方針で進める事にしました。
刺激的で、しかし時には複雑な脚本に重点が置かれたところは以前と変わりはありません。
しかし、このシリーズは、アクションシーンがより派手に、過剰になっていたのです。
激しい銃撃戦、車やボート、ヘリコプターによる追跡、炎上するビルなど、ありとあらゆるアクションを過剰なほどに詰め込む事になっていました。

リアリズムが当時の風潮だった為、番組では、最新型の兵器や諜報活動用の装置を備える為に費用は惜しみませんでした。俳優自身、本物の強力な武器を身に付け、脚本で、戦車や装甲車が必要になると、強力な時速110Kmのスコーピオン戦車やその他の軍用車を数台、近衛騎兵隊から拝借したそうです。


当然、スタントも今までより規模が大きく、激しい、迫力のあるものになります。
飛行中のヘリコプターの足にぶら下がったり、2気筒の650ccのホバークラフトでテムズ川を下ったり、強力なバイクに乗って、ものすごいスピードででこぼこの土地を走ったり、5階建ての建物の表面をアプザイルで降りたという、とんでもない芸当をやらされる破目になりました。

2週ごとに1本のエピソードを撮り、6ヶ月で撮影を終えるという、スケジュール。
ショウとコリンズはこの過酷な仕事に備える為、英国空軍に兵籍を入れ、落下傘訓練の優秀な教官の下で、予備訓練のコースを終え、近くの海軍の施設で毎朝早くに練習をしたということです。もっとも、この基地は、海軍婦人部隊の訓練に使われていたようで、この訓練はそれ程きついものではなかったようですが…。
とにかく、ショウとコリンズは、要求される様々な荒っぽいアクションにこたえるため、コンディションを最高にしておかなければならなかったわけです。


番組にはプロのスタントマンがついていました。彼らの仕事は、危険を冒すのではなく、危険をなくすのが目的です。
しかし、そのプロの指示の元で仕事をしていても、手違いは起こります。
コリンズとショウは、しばしば、タイミングを謝って落ちて、脳震盪を起こしたり、パンチをかわし忘れて唇から血を流したり、狙いを謝った空手の一撃を受け、アザの手当てをしたりしていました。これには、ゴードン・ジャクソンでさえ、例外ではなく、それなりの軽い傷やアザをつけていたのです。

しかし、そのスタントの多さ、派手さ、激しさにもかかわらず、驚くべき事と言うか、幸運な事にもというべきか、重傷者は出なかったという事です。ただし、重傷者であって、足首や鎖骨を骨折したとか、何針も縫ったという程度の事は含まれていませんが…。




さらに、番組出はロケ地に凝る事も忘れてはいませんでした。

デイリー・エクスプレス紙の印刷室で、回転する印刷機に囲まれての撮影となった、「暴かれた最新戦闘機の欠陥」をはじめ、別のEpでは、メルトン・モーブレイの英国砲兵隊兵站部のパレードの真っ最中で撮影したりもしたそうです。


1980年にこのシリーズが放送されると、即座に熱狂的な反応が返ってきました。
その年の4月、TV&ラジオ業界クラブに独立TV番組賞を授与され、ボーディとドイルは「TVタイムズ」のトップテン投票で、TVで最も魅力的な男性キャラクターに選ばれました。


しかし、明るい話ばかりでもありませんでした。

コリンズもショーも傷やアザは仕事の一部だとすんなり流していても、自分の役に対する不満を募らせていたのです。この時点で二人は番組を降りたいと切実に願っていました。
製作予定の立て方に口を出す機会をもらえない事を彼らは始終嘆き、更に、番組の芸術的価値についてはほとんど考えられず、プロダクションが利益をあげる為だけに、エピソードを大量生産してると感じていたのです。
CI☆5では長編が1本もありません。これはプロダクションにお金がなかったせいではなく、ショーが脚本を見て仕事をする事を好んだという事も関係していたそうです。さらに、俳優のこの手のこだわりが番組終了の原因のひとつともなったようです。

コリンズとショーの不満は爆発寸前までふくらんでいました。

そこへ追い討ちをかけたのが、「マインダー」、「ジェントル・タッチ」、「探偵ハート&ハート」といった、新しくて、より抑えた番組、すべて暴力的な描写よりも、人物に重点をおいた作品の台頭でした。
これらの番組との競争とも相まって、やがて番組終焉の前兆となっていったのです。


★長期シリーズになると、この手の俳優の不満は付き物で、アメリカで人気を博していた「スタスキー&ハッチ」でも、同じような俳優の不満はありました。ゆえにあちらでは、スタスキー役のポールやハッチ役のデビッドに、いくつかのEpを撮らせたのです。更に、主役二人の仲が悪いのだという噂も流れていて、その噂の否定の為か、デビッドのコンサートにポールがゲストで駆けつけるという事もあったそうです。
こちらは、あのプライベート写真を見る限り、主役二人の仲については大丈夫だったようですね…。★





そして、最終、第5シリーズです。

1981年に「プロフェッショナルズ」の最後のエピソードが撮影された、というニュースをマスコミが流した時、てっきり番組が終了してしまったニュースだと勘違いした何百人もの激昂したファンからの電話がLWTに殺到しました。
が、マスコミは見落としていました。当時のTV番組は、ワンクール13話を一組として作られていたことを。
つまり、CI☆5は第4シリーズまで13本ずつ、全52本撮影していたにもかかわらず、実際に放送されたのは、第1シリーズ13本、第2シリーズ8本、第3シリーズ10本、第4シリーズ15本の計46本だったという事を。

1980年に撮影したEpが6本残っていたし、1981年の初めに撮影した5本のEpもありました。これを最終シーズン用としてとってあったのです。というのも、この時、俳優がサインしていた始めの契約が切れる事になっていたのです。
会社側は、俳優との交渉が決裂し、新シリーズの契約を結べなかった場合に備えて、資金を分散。保険をかけていたわけです。

しかし、これは実に幸運な措置でありました。なぜなら、コリンズとショーは、以前にも増して断固とした態度で、番組に残る気はないと主張したからです。



俳優が番組を降りる事が十中八九決まった時、プロダクション側がとる手段は二つしかありません。
新しいキャラクターで新規巻きなおしを計るか、番組そのものをキャンセルするかです。

決断を迫られたプロデューサー達は後者を選びました。

この決定が下されてた事についての、クレメンスの見解です。
「あれにはいくつかの理由があった。LWTは番組に費用がかかりすぎるようになってきたと考えてたんじゃないかな。我々はぎりぎりの予算で実に効率よく製作をしていたから、あれ以上安くする事は出来なかった。じゃないと、あれだけの質を保てない。番組が終わって2年ぐらい経つと、序列が変わって、連中は言ってたよ、『なんであれをキャンセルしたんだろうな。あれだけいい仕事をやってくれてたのに。我々があの番組から受けたものを考えると、安い番組だったよ』」

当時、TVタイムズのインタビューを受けた、LWTのスポークスマンは次のように述べたという事です。
「この番組は世界中でものすごい人気を博している。『プロフェッショナルズ』を買った30ヶ国以上の国々でね。しかし番組が終了したのは費用のせいだけじゃないんだ。物事には全て、終わりがなくてはならないんだ。たとえそれが大成功した番組であってもね」

こうして、CI☆5は終焉を迎えることとなりました。



1982年11月から1983年の始めにかけて、最後の11話が放送されました。

しかし、そこにはもうひとつ、衝撃があったのです。

LWTは最終シリーズを放送する予定だと発表した時に、「Spy Probe」 (邦題「味方とは敵より少ないものなんだ」:最後に撮影される事になっていたEp)の脚本では、ボーディとドイルの乗ったゴムボートと、二人が追跡していたランチが激しい衝突をして爆発し、二人の生死は明かされないまま終わる、という事も発表したのです。

この策略は功を奏し、当時は1800万人以上の視聴者が最終シリーズを見たそうです。

          

では、締めくくりです。

クレメンスが脚本家たちに、「新聞の見出しから材料を盗め」と忠告した時、そういう手段をとると、番組がすぐ時代遅れのものになってしまうのではないか、という事は考えなかったのか、と聞かれ、クレメンスはこう答えています。
「見出しから、というのは内容を実際に起こった事件にしろと言う意味じゃなかったんだ。つまり、イラン大使館襲撃事件のようなものだけど、番組で、これがその大使館の襲撃だと言った事は一度もない。時代遅れになるかどうかは、取り上げ方と脚本の書き方次第だし、時代遅れになるような書き方を認めるつもりはなかった。
『プロフェッショナルズ』が『おしゃれ探偵』程に長持ちするとは思わないが、ずいぶん持ちこたえてるよ。
そして皆も、もう少しエピソードがあったらいいのに、と思ってると信じているんだ」




         



★本放送から20年以上たって、本国では、「New PROFESSIONALS」が放送されてます。装いもあらたに、女性キャラクターも加わった新作です。さらに、ファンの要望に答えて、オリジナルのDVDBOXも発売されてます。10月7日には、全話BOXセットも発売予定です。プレオーダーだと、100ポンド少し切る定価が80ポンド弱になるそうです。さて、やはり、カットされた数分分を目当てに買うべきか…。現在発売中のシリーズ毎のBOXを購入された方の話では、Epによっては、すごく画像のクリアなのもあるということですが、全体的に見て期待したほどクリアな画像じゃなかったとか。

日本でも、地上波初放送から20年近くたってもCI☆5が好きという、このサイトを支えてくださってるCI☆5ファンの皆様がいらっしゃいます。ミステリチャンネルで繰り返されていた再放送で、新たにファンになった方もいらっしゃるようですし、やはり、CI☆5には、時代を超えた魅力があるという事でしょうか。

こんな素敵な番組を作ってくれた、ブライアン・クレメンスを始めとするプロダクション・チームを讃えるとともに、感謝したいです。★